世界遺産検定1級 まとめノート2-8.潜伏キリシタン関連遺産、百舌鳥・古市古墳群
22.長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
(1)概要
- 登録:2018年、基準:3
- 長崎と天草地方で潜伏キリシタン達がひそかに信仰を続け育んだ独自の宗教的伝統を証明
- 江戸時代空明治時代に欠けて約250年の禁教期間
- 長崎熊本の2件8市に点在する10の「集落」とそれぞれ1つの「城跡」「聖堂」の12資産で構成
- 日本の遺産として初めてICOMOSとアドバイザー契約をして推薦書作成
- 登録集落で高齢化と人口減少が課題、「野崎島の集落跡」は無人化
(2)歴史
宗教的伝統の歴史的過程は大きく4つの時代に区分
- 始まり(17c初頭~中頃)
1549年ザビエル鹿児島上陸、1550年平戸布教、秀吉や幕府の禁教、「島原・天草一揆」、原城跡 - 形成(17c中頃~19c初頭)
神道や仏教を装い信仰を維持、「平戸の聖地と集落」「天草の崎津集落」 - 維持、拡大(18c末~19c中頃)
信仰を隠せる五島列島に移住、「頭ヶ島の集落」「野崎島の集落跡」、移民の信仰黙認する側面 - 変容、終わり(19c後半)
1865年「大浦天主堂」で信仰告白「信徒発見」(教皇に奇跡報告)、1873年キリスト教解禁
(3)構成資産
①始まり (17c初頭~中頃) |
原城跡 |
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②形成 17c中頃~19c初頭) |
平戸の聖地と集落「春日集落と安満岳」「中江ノ島」 |
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天草の﨑津集落 |
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外海の出津集落 |
聖画像をひそかに拝むことで信仰を隠し、教理書や教会歴を基に信仰、後に五島等へ移住 |
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外海の大野集落 |
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③維持、拡大 (18c末~19c中頃) |
黒島の集落 |
平戸藩の移住政策に応じ、牧場跡の再開発地に移住、仏教寺院で信仰 |
野崎島の集落跡 |
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頭ヶ島の集落 |
病人の療養地の島へ仏教の開拓指導者に従って移住し信仰 |
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久賀島の集落 |
後藤藩の開拓移民政策に従い未開拓地に移住し信仰 |
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既存の集落から離れた海に近い狭い谷間に移住し、地勢に適応しながら信仰 |
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④変容、終わり |
開国後来日した宣教師が1864年建造、1953年洋風建築として初の国宝指定 |
23.百舌鳥・古市古墳群‐古代日本の墳墓群‐
(1)概要
- 登録:2019年、基準:34
- この地は日本の古墳群の階層構造の頂点、他の古墳群の見本
- 葬送儀礼の舞台としてのデザイン、埴輪、葺石、濠、幾何学的な段築など独自の建築的到達点
- 百舌鳥エリアの仁徳天皇陵古墳、古市エリアの応神天皇陵古墳などの45件49基の古墳で構成
- 仁徳天皇陵のような大きな古墳には陪家(ばいちょう)と呼ばれる小型の付属古墳
- 百舌鳥・古市は「前方後円墳」「帆立貝形古墳」「円墳」「方墳」の標準的な形式4つを含む
- 「陵」:被葬者が特定(宮内庁)、「古墳」:被葬者不特定(考古学者)
- 宮内庁管理の陵墓は非公開、研究や治定をどう進めるかに課題
(2)歴史
- 3c中頃に最初の前方後円墳、6c後半までに16万基以上建築(古墳時代)
- ヤマト王権は東アジアと交易、権力を示すため百舌鳥・古市古墳群は大阪湾から見える位置
- 交易で仏教が伝わると古墳は作られなくなり、天皇の陵墓を守る役割は寺院に移る
(3)構成資産(45件49基)
▼百舌鳥エリア (44基中23基登録) |
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仁徳天皇陵古墳(大仙古墳) |
日本最大の前方後円墳、長さ840m、三重の濠、世界三大墳墓 |
孫太夫山古墳 |
帆立貝形古墳、仁徳天皇陵古墳の陪家、長さ65m |
履中天皇陵古墳(ミサンザイ古墳) |
日本3位の前方後円墳、長さ365m、円筒埴輪・形象埴輪 |
いたすけ古墳 |
長さ146m、1950年代宅地開発の危機を市民の保存運動で回避 |
ニサンザイ古墳 |
長さ300m、墳丘平坦面から隙間なく並べられた円筒埴輪発見 |
▼古市エリア (45基中26基登録) |
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日本2位の前方後円墳、長さ425m、墳丘体積は1位、埴輪多数 |
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津堂城山古墳 |
長さ210m、最初期、水鳥形埴輪等の珍しい埋葬物 |
仲哀天皇陵古墳 |
長さ245m、室町時代に城利用のため変形、濠、円筒埴輪 |