世界遺産検定1級 まとめノート2-1.法隆寺・姫路城・屋久島
1.法隆寺地域の仏教建造物群
(1)概要
(2)歴史
- 607年聖徳太子が若草伽藍(斑鳩寺・いかるがでら)建築、670年焼失→法隆寺西院の起源
- 7c太子子息の山背大兄王が太子の宮であった岡本宮跡に寺院建立→法起寺の起源
- 739年聖徳太子の霊をまつる伽藍(上宮王院)建造→法隆寺東院(中枢部)の起源
- 古くは鎮護国家の寺として天皇家により保護
- 12c聖徳太子信仰で信者増、各時代の権力者による保護
- 明治維新後に荒廃、明治政府1897年「古社寺保存法」で再び国家の保護
(3)構成資産(法隆寺47棟、法起寺1棟(三重塔)の48資産)
法隆寺西院伽藍 |
法隆寺伽藍配置:東に金堂・西に五重塔(世界最古の木造の塔)、雲形組物、釈迦三尊像のアルカイック・スマイル(北魏時代6cの中国文化の影響)、四間門(しけんもん):法隆寺中門・通路となる門の中央部に柱・左右には阿吽の像 |
法隆寺東院伽藍 |
周囲に回廊がめぐる夢殿を本堂、現存する最古の八角円堂、屋根は「八注造」、本尊は救世観音菩薩立像:聖徳太子と等身説、明治まで秘仏(←フェノロサ、岡倉天心) |
三重塔としては日本最古かつ最大(約24m) |
2.姫路城
(1)概要
- 登録:1993年、基準:14
- 8棟国宝、残る74棟重要文化財
- 複雑な構造の配置や屋根の重ね方を組み合させる独特の工夫、らせん状の曲輪、狭間
- 世界的にも珍しい木造城郭建築の中でも最も保存状態が良い
(2)歴史
- 16c末秀吉は毛利攻略拠点として姫路の既存城郭を改築、3層天守
- 1601~9年池田輝政が改築、5層大天守、二重堀の曲輪など造営
- 1617年本多忠政が西の丸の整備(長男忠刻とその妻千姫の居所)
- 明治時代に軍用地、取り壊しの危機
- 1919年「史跡名勝天然記念物保護法」、1931年に国宝指定
- 1934年豪雨で大被害修復作業、戦争で中断
- 1956年から昭和の大修理(大天守の解体修理、RC製の基礎構造部に取替えなど)
- 2009年から5年半に及ぶ平成の大修理(漆喰の塗り替え、瓦の全面吹き直など)
(3)構成資産
天守群 |
内郭北東部の最も高い位置、唐破風や千鳥破風を持つ屋根を5層重ねた望楼型天守、3層の屋根を持つ東小天守・乾小天守・西小天守、それぞれの間を廊下状の櫓(渡櫓) |
西の丸 |
本多忠政築造の居住用曲輪、御殿は現存せず、化粧櫓、長局 |
備前丸 |
天守群の南の曲輪跡、かつては城主居館の本丸御殿(1882年火災で消失) |
通路 |
天守群に向かい次第に高くなる設計、要衝に門櫓 |
3.屋久島
(1)概要
- 登録:1993年、基準:79
- 北緯30度、九州最高峰の宮之浦岳(1936m)などの山岳島
- 年間降水量4400㎜
- 東京23区より少し小さい約500㎢に亜熱帯植物から亜寒帯植物まで垂直分布
(2)歴史
- 最初の記録は600年代の古文書
- 江戸時代薩摩藩による伐採約200年、明治維新後大部分国有林化
- 1923年「屋久島憲法」(屋久島国有林経営の大綱)、24年に原生林は天然記念物指定 ※人工造林等に伴う天然の屋久杉の伐採は継続
- 1964年に九州の霧島とともに国立公園に編入
- 1980年にMAB計画の生物圏保存地域に指定、80年代に一切伐採禁止、93年登録
- 2005年島北東部がラムサール条約登録
- 2011年霧島と切り離され「屋久島国立公園」として独立
(3)植生、動物
- 植物の垂直分布
0~100m :アコウ、ガジュマル、メヒルギ
~7/800m:シイ、カシ類
~1,200m:暖温帯針葉樹林
※1600m付近に日本最南端の高層湿原:ミズゴケ、コケスミレ
~1,800m:冷温帯針葉樹林
~山頂部 :ヤクシマダケ、ヤクシマシャクナゲ - 哺乳類4種の固有亜種
・ヤクザル
・ヤクシカ
・ヤクシマジネズミ
・ヤクシマヒメネズミ - 鳥類2種の固有亜種
・ヤクシマカケス
・ヤクシマヤマガラ
(4)屋久杉
- 過去の寒冷期にブナ、ナラなどが南下しなかったため針葉樹林が現存(遺存固有)
- 樹齢1000年以上は屋久杉、1000年未満は小杉
- 大きいものは直径3~5m、標高600~1800mまで広く分布、現在2000本以上確認
- 樹脂の防腐・防虫効果→土埋木、倒木更新、切り株更新